マルトリートメント
公認心理師、臨床発達心理士で特別支援教育のスーパーバイザーである川上康則さん著書の『教室マルトリートメント』を読んでいますが、読み進めるうちに心が苦しくなります。マルトリートメントという言葉は、虐待まではいかなくても、その行為を受けた人の心に傷が残るような関わりという意味で使われていて、最近よく言われるところの保育の不適切な関わりと相似しています。
学校でのマルトリートメントの事例やどうしてそのような行為をしてしまうのか、現在の学校の先生たちが置かれている状況や、マルトリートメントが横行しているような教育現場にいるならば、どうすればそこからぬけだせるのかについて書かれています。
子どもに対して毒語(著者の造語で、子どもの発達を阻害するネガティブ要素を持った言葉の意)を使っていないか、セルフチェックが必要だと感じました。
・質問形式で問い詰めるような毒語「何回言われたら分かるの?」「ねぇ、何やってるの?」
・本当の意図を語らずに、裏を読ませるような毒語「やる気がないんだったら、もうやらなくていいから」(→本当は「やりなさい」)「あなたの好きにすれば(→本当は「言うことを聞きなさい」)
・脅しで動かそうとするような毒語「早くしないと、〇〇させないから」「じゃあ、〇〇できなくなるけどいいんだね」
・虎の威を借りるような毒語「お母さんに言うよ」「校長先生に叱ってもらうから」
・下の学年の子と比較するような毒語「そんなことは1年生でもやりません」「そんな子は1年生からやり直してください」
・指導者側に責任がないことを強調するような毒語「ダメって言ったよね」「もうやらないはずだったね」
・見捨てるような毒語「じゃあ、もういい」「さよなら」「バイバーイ」
毒語は、子どもをポジティブな方向に導くことはなく、むしろ子どもの心に傷をつくります。使用に対して踏みとどまる判断ができるよう、自分の言葉に常に意識を向け続けることが大切だと書いてあり、私も保育者として、もっと言葉の使い方に敏感にならなければと思いました。
本書の中には、職員室では声の大きい威圧的な教師に支配されているところもあり、そうなると「子どもにナメられないようにもっと締めた方がよい」「力で抑えないと子どもが甘える」等といった会話が公然と行われていくようになっていくとも書かれていました。怖いです。
昨日、園児に4時間もかけて給食を食べるよう指導した不適切保育の報道がありましたが、これは指導ではありません。子どもの心に大きな傷を残しただけです。不適切なかかわりは、日々の保育や学校現場に横行しています。今こそ、それぞれの場所で自分の言動を振り返り、セルフチェックをするとともに、職員間での話し合いが必要だと思います。
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