急がば回れ
随分前のブログに書いたのですが、自閉症スペクトラムの方たちについて書かれた池上英子さんの著書『ハイパーワールド~共感しあう自閉症アバターたち』を読んだときに、ニューロダイバーシティ(神経多様性)について知りました。普通とか正常とかいう概念はそもそもどうなのだろう?たいていの人は、自分は普通と思っているけど、普通ってなんだろうと考えさせられました。
先日ご紹介した保育通信に書かれた臨床心理士の村中直人さんのインタビュー記事にこんなことが書かれていました。
「相手の立場になって考えてみましょう、自分がされて嫌なことを人にしてはいけません」と保育園、小学校、中学校でよくある指導なんですが、ものすごくニューロユニバーサリティ(神経普遍性)な発想の話なんですよね。基本的な仕組みが人間同じだから、そこの感覚の差は立場を入れ替えると理解し合えるはずということが土台になっているのですが、嫌なことやされたくないことは人によって違うということを最初から考えていないということですね。
ニューロダイバーシティの人は、人と違う感覚を持っているにもかかわらず、「あなたも同じ人間なんだからそう考えて当たり前」を前提に話をされるのですから、生きづらいはずです。『僕には数字が風景に見える』の筆者であるダニエル・タメット(彼も自閉症スペクトラムで長い間苦しんで来ました) も書いていましたが、普通の人が当たり前に持っている感覚を相当な努力や繰り返しで一つずつ学んだそうです。
まだ経験や知識が(かなり)少ない子どもとかかわる時、人それぞれ違う感覚を持っているという話はとても教訓になります。私も自分がわかっていることは子どももわかっているはずと思って話をしていたことに気づいて反省することがあります。子どもがその言葉や感情等の意味をどれくらい理解しているのかを常に考えながら伝えなければ、伝わらないだけでなく、子どもは伝わったふりをするのが上手になってしまいます。
子どもはなぜ叱られているのかわからないことをかなり頻繁に経験しています。感情が伴った叱り方はなおさらです。なぜ叱られているかわからないけど、あんなに怒っているんだから自分が悪いんだろう。ここは「うん」と分かったふりをするしかない…子どもはそう悟っているのかもしれません。
子どもの認知の程度を理解した上で叱ることは、同じことを何度も繰り返さないために大事なことです。「何度言ったらわかるの?」というセリフは、大人が子どものことをわかっていないから出てしまう言葉です。子どもにはわかるまで聞く権利があります。できるようになるまで手伝ってもらったり、言葉をかけてもらう権利もあります。忙しい毎日でしょうが、急がば回れですね。
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