保育の質
保育士の不適切保育が次々に報道され、どこの保育園でもあるのではないかと言われているようで心が痛みます。法人の幹事の方からも、過剰な報道に対して心配するメールが届きました。
なぜ不適切保育が起こるのでしょうか?コロナで業務が過剰になったこと、そもそも保育士の配置基準(子どもに対する保育士の人数)が厳しすぎて、保育士にゆとりがないのも事実です。
バスでの取り残しなど事故が起こるたびに、国や市町村から通達が来て業務が増えていきます。子どもの命や安全を守るためにしなくてはいけないことですが、業務が増えても人件費を増額されるわけではなく、現場の先生たちの負担が増えるだけです。
もちろん、不適切保育の原因を過重業務のせいにするつもりはありませんが、相次ぐ保育園を巡るニュースで精一杯がんばっている保育士はみんな心を痛めています。
先日の職員勉強会で、「不適切保育」が起こる要因について、社会や一般の方が、保育の質をわかっていないからではないかという意見が出ました。「運動会や生活発表会など、きちんと上手にできることを求められるので、厳しい指導をしてしまうこともあると思います」と言う先生もいました。
1・2歳児の子ども達がきちんと並んで歌を歌ったりする姿を見ると、先生たちの指導がいいからだと思っていないでしょうか?自我が芽生えたばかりの1・2歳児は、フラフラするのが当たり前です。その子どもたちがみんな並んでできる方が不思議ですが、そうは思われていないような気がします。
4・5歳児が小学校並みの合奏や長いセリフの劇をする姿を見て、保育の成果だと思われてはいないでしょうか?小学校並みにするためには、時間と努力が必要です。全ての子ども達がそれを望んでいるわけではありません。それは保護者の方の要望(期待)ではないでしょうか?
職員勉強会では、先生たちから「立派な発表をしたクラスや担任が園長や保護者から評価される。
去年と比べたり、隣のクラスと比べられるので、頑張らざるを得なくなる。社会一般の人も保育の質がなんなのかわからないので、行儀がよかったり、きちんとできることを求める風潮がある。社会が保育の質にもっと関心を持たなければ、今の成果主義の保育はなくならないし、そのために子どもを叱ってやらせるという保育は変わらないと思う」という意見が出ました。
子どもが自分らしく過ごす時間を大切にし、その中で基本的生活習慣を身につけたり、人への思いやりの気持ちを育てたいと思っています。人格形成の基礎である時期に、能力を超えた過剰なみんなが教育だと思っているものに価値を見出すのはもうやめてほしいと思います。
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