名前

 卒園児の保護者の方から、びっくり(がっかり)するような小学校の先生の話を聞きました。ある小学校低学年の担任の先生は、子ども達の名前を呼ばずに、出席番号で呼ぶそうです。どうしてなのでしょう?納得できる理由が思いつきません。


 名前はその人を表す大事なものです。名前には、子どもの幸せを願う親の思いが込められています。私も二人の子どもの名前をつける時、あれこれと悩み、提出期限ギリギリに市役所に駆け込んだことを思い出します。


 今年度短大で受け持っているクラスの学生は、118人ですが、〇〇子という名前は一人しかいません。かえって新鮮ですが、フリガナをふってくれないと絶対に読めないと思う字がたくさんあります。学生の名前を呼ぶとき、どんな思いが込められているのだろうと想像しながら呼ぶこともあります。


 りんごの花保育園では、子ども達の名前を省略しないで呼ぶことに決めています。長い名前でも、その名前に込められた想いを大切にするために正しく呼びたいと思っています。


 愛称やおうちで呼ばれている呼び方が親しみがあっていいと思っていたこともありましたが、やっぱりきちんと〇〇ちゃん、〇〇くんと呼びたいと思っています。子どもたち同士でも呼び捨てはしないよう伝えています。子ども達も親しくなると、呼び捨てでよんでしまうようですが、やっぱり名前は大事なので、「〇〇ちゃん、〇〇くんって呼ぼうね。」と話します。


 小学校の先生が、子どもを番号で呼ぶ意図が全く分かりませんが、自分だって番号で呼ばれたくはないでしょう。そこに大人のエゴがないでしょうか。昨日ブログに書いた津守真先生の言葉を紹介させて頂いて、自らも振り返りたいと思います。


 「子どもと出会うとき、相手の子どもは、大人である私にとって、究めつくすことができない未知な世界をもった、他者としての存在である。子どもは、究極的には大人の理解を超えた、他人が手をふれることを許されない、尊厳な人間存在である。これは、子どもと出会うことの根底にある、大人と子どもとの存在の様式である(『保育の一日とその周辺』)

 出会うとき、私共は対等な人間同士である。教師と生徒、能力の差、立場の違いなどの違いはあるが、相手も私も、それぞれ、自らの人生を生きる者として対等である。(『保育者の地平』より)

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