top of page

普通を疑う

児童発達支援事業所を開所して、「普通」「標準」という言葉に違和感を感じるようになりました。昨日の自閉スペクトラム学会では、「療育において、標準やみんなと同じになることを目的にするのはどうだろう?」という問いかけがありました。


 みんなと同じようになることを求めるのは多数決の原則に従っているのかもしれません。多数派に合わせるよう求めるのは傲慢な気がします。それぞれの個性を無視してみんなを同一化すると、社会はうまく動くのでしょうが、一人ひとりの価値観や思いを軽視すれば、一人ひとりが自分らしく生きていくことは難しいと思います。


 それぞれが存在することに意義があるのに、社会のルールに則るよう求めれば、生きにくい人が出てくるのは当たり前です。こう思い至った時、自分の価値観や傲慢さにがっかりしてしまいます。


 児童発達支援事業所に来る子ども達は一人ひとりが個性的で、自分らしさを持っています。そこを無視して社会の標準や普通を求めていることがおかしいと気づかないと、みんなが生きにくい社会になるでしょう。当たり前や普通、標準に囚われない生き方を目指したいと思います。

 
 
 

Comments


特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page